理事長の呟き
〜アンチエイジング医療に邁進する精神科医のひとり言〜
Vol.79
「暑さ寒さも彼岸まで」とは言いますが、今年の2月~3月におけるこの寒暖差には体調を崩された方も多いのではないでしょうか。就任以来相変わらず傍若無人な言動を続けるアメリカの大統領はトランプですが、私のこのコラムはスランプが続いておりましてなかなか筆が進みませんでした。
少し前にこのコラムで、「自分も歳をとったせいか、体が花粉に対しての反応が鈍くなって花粉症も軽症化している」と呟きましたが、今月に入ってからは眼も鼻もしっかりと反応しまくって、今現在まぁまぁの辛い思いを致しております(笑)。しっかり飛んでおりますスギ花粉!!
日産もホンダの軍門に下ることは余程プライドが許さなかったようで、一つにまとまる話はご破算になってしまいました。ドイツのフォルクスワーゲンという自動車会社をご存じの方は多いと思いますが、実はこの会社の下にはアウディ、ポルシェ、ランボルギーニ、ベントレーといったそうそうたる自動車会社がフォルクスワーゲン傘下で様々な車を製造しております。
そこで思ったのですが、であればもう日本はトヨタを頭にして、そこに日産もホンダも三菱も傘下に入って、世界一の巨大な自動車会社にしてしまえば、当面は安心してみていられるのではないでしょうか。さすがに日産もトヨタの下なら文句も言えないと思いますので、経産省と国交省が力を合わせてこの一大プロジェクトを成し遂げられては如何なものかと。さて皆さんはどう思われますか?私トランプみたいなこと言っていますかね。
さあここから今回のコラムの本題です。最近日々の外来で患者さんたちが割と口にされる言葉が2つありまして、やや遅ればせながらの感は否めませんが、『承認欲求』と『自己肯定感』でございます。「なんだ、そんなの少し前に流行ったでしょ」と流行に敏感な方は御存知だったかもしれませんが、臨床の場で一般の患者さんが普通に口にするとなると、それなりの普及率と言いますか浸透力ではないかと感じております。
前者はどこかのアイドルグループが既にそのタイトルで歌っていたようですが、「他者から自分を認めてもらいたい」、「私の話(意見)をちゃんと聞いてほしい」、「誰かに褒めてもらいたい」、といったことに対する欲求の事で、後者は「自身の価値や存在意義を肯定できる感情」とか「自身の在り方を積極的に評価できる感情」の事とされております。
そこで臨床現場での使われ方としてですが、『承認欲求』の方は、自分以外の他者がこれを振り回して周囲にこの欲求をなりふり構わず要求されて困ってしまうという、どちらかというと他者をディスることに使われることが多いです。一方『自己肯定感』の方は、自分自身のこれが低くなってしまう事で、仕事に対する意欲が低下したり、日常生活全般において抑うつ的な感情に浸ってしまったりする自身に対する訴えとして使われている頻度が多いような気がします。
そこで私が考えますに、これらにはどちらにも根底に“強迫的な観念”が大なり小なり潜んでいると思うのです。精神科の疾患に『強迫性障害』と言われるものがありまして、これは強い不安やこだわりが常に存在することで、やりすぎともいえる考えや行動を制御することが出来なくなって日常生活に支障を呈してしまう疾患です。
他人の触ったものは全て不潔であるという強い思いから直接それらに触れることが出来なくなってしまう。例えば電車のつり革が素手で持てない、エレベーターのボタンを素手で押すことが出来ない、その不潔なものを取り除くために長時間洗剤で手洗いをしてしまう、といった状態は臨床の現場では出くわします。
また何度も何度も同じことを確認しても安心できない、例えば家の鍵をきちんとかけて出てきたか気になって途中で何回も帰宅をして確認する。そうすると家の鍵だけでなく窓の閉め忘れやコンロの火を消してきたかといったことまでが確認しなくてはいられない。というある種自分自身の中だけにおける究極の完璧主義の思考を、自分自身で最終的に決着をつけることが出来ない状態と言っても過言ではないでしょうか。
そこでこの強迫的な思考の1つである完璧主義がある一線を越えてしまうと、他人を困らせてしまう承認欲求の過度な要求や、自分を必要以上に卑下する自己肯定感の著しい低下、といった状態につながっていると思うのでございます。つまりこのあたりの精神症状は、程度の差はあれども全ての人に存在するものであり、最終的に疾患として診断されるのは、自分でうまくコントロールできなかったり、周囲の人たちが受け入れてくれる限界を超えてしまったり、日常生活に支障を呈してしまったりすると、そのような診断の下で加療が必要となるものであります。
またこの承認欲求は度が過ぎてしまうと、そこでまた新たなる疾患として『自己愛性パーソナリティ障害』なるものが登場してくるのでございます。もうこうなってくると精神医療とは最終的にはどんな人も、何らかの疾患と診断されてしまうという、とんでもない診療科だと思われるかもしれませんよね。これらは全てCTやMRIという画像検査で診断するものでもなく、血液を採取してその成分から確定する客観的な判断材料は殆どなく、その人の言動や周囲の人からの情報というほぼ主観的な材料で診断するわけですから、かかった医者によって言われることがまちまちになり、診断や治療方針が変わってしまう可能性は残念ながら日常茶飯事です。
そんなところを一般的な医療としてはとらえにくいことから、「精神科って一体どうなのよ」と思っている他科の医者も沢山いることは、この仕事を生業として30年以上やって来て私自身は十分肌身に染みております。これから画像診断の進歩や遺伝子診断やAIの活用などで精神科の診断方法も変わっていくはずでしょうけど、「だから大変なんだけれど、そこがおもしろいんですよ」という思いで、私はもう暫くはこの医療に携わっていこうと思う2025年の春でございます。
先ほどの『自己愛性パーソナリティ障害』とは、過大な自尊心や自信に満ち溢れ、過度な賞賛の欲求と、その一方での他者への共感の欠如や他人の能力を過小評価する、といった特徴を示すものでして、まさにあの国の某大統領みたいな人だと思っていただけるとわかりやすいかもしれません(汗)
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